刻された線から、筆触を味わう ― 王羲之『十七帖』の原寸臨書を通して

コラム

臨書とは優れた古典の筆跡を手本にして書写する、書の勉強法です。

ただ文字の形を写すだけではありません。
刻された文字の線を手がかりに、その奥にある筆の動きを想像し、実際に自分の筆でたどってみるという、パズルのような面白さがあります。

注目するポイントは多岐にわたります。線の太さ、速度、筆遣い、墨の含み。そして、文字と文字の間に生まれる「間」など。

そうしたものを一つずつ紐解いていくことに、古典を臨書する醍醐味があると思います。

今回、王羲之の『十七帖』を臨書するにあたり手本としたのは、北京故宮博物院に所蔵される『宋拓澄清堂帖冊』です。

舊榻澄清堂帖(二) 冊 晉王羲之 國立故宮博物院,台北,CC BY 4.0 @ www.npm.gov.tw(北京 故宮博物院の画像を入手できなかったため、台湾 國立故宮博物院の画像を使用しています。)

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『澄清堂帖』との出会い

『澄清堂帖』は、“書聖” 王羲之おうぎし(中国・東晋 303-361)の書を精巧に刻したとされる法帖(お手本)の一つです。原石はすでに失われているため、現在は残された拓本によってのみその姿を知ることができます。

その成立については諸説あり、所蔵する故宮博物院も「刻石の年代や刻工の名の記録がないため、正確な刊刻時期や本来の全体構成は明らかではない」としています。そもそも宋拓本は伝存が少なく、本資料は非常に貴重であることに間違いありません。

今回参照したのは、故宮博物院所蔵の「宋拓澄清堂帖冊」、縦26.3cm、横26.9cmの一冊です。

この帖でまず目を引くのは、刻された文字の輪郭の鮮明さです。明の王肯堂はその著書『郁岡斎筆麈』の中で、「字画は流麗で、筆意が生き生きと表れている」と評していますが、まさにそのとおりです。

文字の境界が明瞭だからこそ、その線をたどりながら、そこにどのような筆の動きがあったのかを想像することが容易になります。

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王羲之の『十七帖』

『十七帖』は、東晋の王羲之による草書の名品として知られる法帖です。

巻頭の「十七」の二字からこの名がつき、内容は尺牘、つまり手紙を集めたものとされます。現在伝わるものは原跡ではなく、石刻されたものから採られた拓本です。

書道を学ぶ者にとって『十七帖』は、一度は向き合う古典の一つといっても過言ではないくらい重要な法帖です。

今回改めてこの『十七帖』に挑んだのは、ある書家の先生から『宋拓澄清堂帖(邢侗旧蔵本)』をお借りしたことがきっかけでした。

 宋拓澄清堂帖(邢侗旧蔵本)
  作者: 故宮博物院編
  出版社:紫禁城出版社

まずは半紙に6文字ずつ書きながら、約半年間かけて全臨しました。これにより、王羲之草書の癖のようなものや考え方を刷り込むことができました。

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半紙で学ぶこと、原寸で向き合うこと

半紙での臨書では、筆はある程度意識して選んだものの、紙については普段の漢字の練習に使っているものをそのまま使いました。

ところがいざ原寸で臨書してみようとすると、事情が変わることに気づきました。

原寸になると、まず書写する文字のサイズが半紙の場合に比べて小さくなります。より解像度を上げる必要があるわけです。

また、一文字だけを追うのではなく、文字の大きさ、線の伸び、文字同士の距離、行間、そして紙面全体の響きまで意識しなくてはなりません。

それまで気にしていなかった紙も、筆も、改めて選び直す必要に迫られました。

原寸臨書のための紙を探す

原寸で臨書するにあたり最初に模索したのが紙でした。通常の漢字用半紙だと墨の吸いが良すぎてにじむうえに、すぐに小筆の墨が枯れてしまうからです。

そこで、いくつかの紙を実際に試しながら、求める線の表情になる紙を探しました。

紙の種類特徴墨の入り方評価
麻紙古代の風合いを感じる△ 墨を吸いすぎる
新料紙かな用の染め紙〇 線はくっきり出るが渇筆が出にくい
札帯紙 紙幣を束ねるための和紙〇 潤筆・渇筆がともに出やすい
楮紙楮を主原料とする和紙◎ 潤筆・渇筆・筆触がベスト
評価ポイント
  • 墨の入り方
  • 線の立ち上がり
  • 滲みと渇筆
  • 筆触

最終的に、今回の原寸臨書には楮紙を選びました。

筆を選ぶ

紙の次は筆です。
原帖の線を観て使用された筆の姿を想像しながら、いくつかの筆を試しました。

 筆の弾力
 穂先のまとまり
 墨を含む量
 線の細太の表現など

最終的に選んだのは、コリンスキー毛の小筆で少し使い込まれたものです。

新しい筆のような鋭い穂先ではなく少しちびた筆の方が、ところどころに見える筆の割れのような線を表現しやすいと考えたためです。

澄清堂帖・三井本・上野本の違い

『十七帖』にはいくつもの刻帖が知られています。中でもよく知られているものの一つが三井本です。

澄清堂帖で臨書した後に三井本で臨書すると、思いがけない違和感を覚えました。

個々の文字の結構に違いがあるだけではありません。

 文字と文字の間
 行と行の間
 それぞれの文字の大きさ、字座の広さ

つまり、「間」そのものが違って見えるのです。

また、三井本では転折が二段階に表現されているように見える箇所があります。一方、澄清堂帖を改めて見ると、同じようなところにその不自然さは感じられませんでした。ただ、この二つを比較することで、王羲之の筆意について、より具体的に想像する手がかりを得ることができました。

さらに上野本も並べてみると、同じ『十七帖』を伝える法帖であっても、線の表情や運筆にそれぞれ異なる特徴が見えてきます。

三井本
澄清堂帖
上野本
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「間」を読む

今回の臨書で最も興味深かったのは、文字そのもの以上に「間」でした。

半紙に6文字を書くときには、一文字ずつの結構や筆法に意識が向きやすいのですが、原寸の場合には文字は単独では存在しません。

 一文字を書く
 → 次の文字へ移る
 → 次の行を書く

この時間経過の中で書き手はさまざまなことを考えながら書き連ねていったはずです。書き手の思考や判断が、筆の運びとなり、最終的に文字や「間」として紙面に現れると感じました。

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刻された線から、筆触を味わう

拓本に残されているのは刻された線です。そこから、かつて筆がどのように動いたのかを想像します。

そして、それを自分の筆で確かめてみることで、そこに残された筆触を味わうことができます。

今回、半紙で約半年間『十七帖』と向き合った後、原寸で臨書することで、それまで見えていなかった紙、筆、線、そして「間」に目を向けることができました。

臨書研究はこれからも続きます。

古典の線をたどりながら受け取ったものを、これからの自分の書へ反映していきたいと思います。

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参考資料・謝辞

参考文献・資料

謝辞

貴重な『宋拓澄清堂帖(邢侗旧蔵本)』を貸してくださったO先生に、心より感謝申し上げます。

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