古筆はかな書の最高のお手本
そもそも古筆とは
書の勉強のためには、優れた古い書物(古典)をお手本にして学習する「臨書」をすることが定石です。古典の形態には次のような種類があり、私たちが通常目にできるのはその印刷物(複製)です。
- 石に彫られた文字(泰山刻石、孔子廟堂碑など)⇒ 陰影を写し取った拓本の印刷物
- 肉筆原本の模写(王羲之の書など原本がないもの)⇒ 模写の印刷物
- 肉筆原本(空海の書など)⇒ 原本の印刷物
我が国には数多くの古典が現存しますが、特に平安時代から鎌倉時代にかけての優れた肉筆の書を「古筆(こひつ)」と呼びます。900年以上前の能書家の息づかいを感じられる古筆からは、さまざまなエッセンスを学び取ることができます。
古筆の印刷物を比較してみた
同じ古筆の印刷物でも結構違う
古筆は肉筆原本が存在するため、古筆のお手本としてよく使われる印刷物は 3 に相当します。
しかし、原本の同一箇所のページでも印刷物ごとに印刷の色合いや見た目が結構違います。例えば二玄社から出版されている「日本名筆選」シリーズと「原色かな手本」シリーズ、前者が冊子型、後者が折り手本型と装丁が違えば紙質も違います。写真1は左が「原色かな手本」、右が「日本名筆選」、伊勢集の同じ箇所です。ページ右下の紺色の部分など特に色合いが違いますね。
同じ出版社からなのに掲載箇所(ページ)も微妙に違ったりするので、もしかすると印刷の元となった撮影データすら違うかもしれません。撮影が違うとは…
- 時期 ・・・ 古い方が古筆原本の損傷が少ない
- 機材 ・・・ 新しい方が高精細な写真が撮れる(?)
- 撮影者・編集者 ・・・ 担当者のスキルが違う
墨濃度の再現性が高いコロタイプ印刷
原本の複製本にはカラー印刷のほかに、古くから使われている白黒のコロタイプ印刷があります。原寸大で撮影されたネガをもとに連続階調による正確な再現が可能であるという特徴から、筆力の忠実な表現ができるとして多くの古筆がコロタイプ印刷されています。撮影時期が古いため保存状態が良い古筆を見ることができます。
古筆とその模写を比較してみた
3 の原本の印刷物があれば 2 の模写の印刷物は必要ないのでは、、と思いませんか?
私もそう思っていました。西本願寺本三十六人歌集の田中親美本を目にするまでは。
西本願寺本三十六人歌集とは
色彩と文様の意匠をこらした料紙に三十六歌仙の家集を書写した冊子です。1112年の白河法皇の60歳の誕生日祝い(六十賀後宴・ろくじゅうのがのごえん)の献上目録にある「御手本」にあたるのではないかと考えられていおり、当時の粋を極めた調度品です。
同時代の書跡と照らし合わせて20人の能書家により書写されたことはわかっていますが、ほとんどの筆者は特定されていません。
西本願寺本三十六人歌集のカラー版が欲しい
西本願寺本三十六人歌集は華麗な料紙と筆跡との調和が美しい美術品であるため、是非ともカラー版が欲しいと思っていました。とりわけ伊勢集(石山切)、友則集、斎宮女御集を求めていました(理由は臨 伊勢集 – 君がよはなどの過去ログをご参照いただけると)。
伊勢集については先に紹介した二玄社のシリーズで出版されていますが、友則集は見開き1ページのみ、斎宮女御集に至ってはカラー版を見たことがありませんでした。
そんな折たまたま友則集の全ページをカラーで入手できました。でもなんだか様子が違うのです。添付の解説書をみて理由がわかりました。田中親美先生による模写本だったのです。
田中親美本とは
田中親美先生による古筆の模写本を指します。
親美先生は西本願寺本三十六人歌の完全模写(料紙と筆跡の両方を再現)を作成した、古筆模写および料紙研究の第一人者で、明治から昭和にかけて活躍されました。
ちなみに先生が模写にのめりこんだきっかけは伊勢集の美しさに魅せられたことだそうです。
模写本からわかること
原本と長年向き合って研究してこられた親美先生の模写本は、古筆が出来上がった当時の状態を再現しているため、古筆原本から失われてしまった(少なくとも印刷物からは読み取れない)情報をたくさん伝えてくれます。例えば、
- 剥落や虫食いがあって判別しづらい文字、書き方が不明瞭な文字がわかりやすい
- 料紙の剥落した文様が見える
- 料紙の図柄と筆跡をどのように融合させたのかが見える
漢字の臨書の本には現代の書家先生によるお手本が掲載されていて、どのように書くのか、どう意を汲んでいるのかがわかりやすくなっています。ちょうどそのお手本のように親美先生の模写を拝見することができました。
複製本と模写本の比較
写真2は友則集の同じ箇所における印刷物の比較です。ピントは少し外してありますが各印刷物の様子がお分かりいただけるかと思います。
まとめ
昔の貴族や文人と違い古筆原本をお手本にして学習できない我々は、印刷物に頼るしかありません。古筆の印刷物にはいくつか種類がありますが、それぞれが特徴的な情報を教えてくれます。したがって、どれが良いというのではなく、できるだけ広く出版物をみるようにすると勉強になると思いました。
写真2でご紹介した印刷物は昭和に出版されたものですが、このような優れた印刷物がまた発行されることを期待しています。
原色かな手本11 石山切伊勢集 伝藤原公任筆 二玄社
日本名筆選21 石山切伊勢集 伝藤原公任筆 二玄社
平安朝かな名蹟選集・第42巻 西本願寺三十六人集 友則集 書芸文化新社
三十六人家集 友則集 三十六人家集刊行会
国宝・西本願寺本 三十六人家集 西本願寺