#031 ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく舟をしぞ思ふ
作品サイズ: | 約19×25 cm |
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仕立て: | 軸装 |
どんなうた?
しいか: | ほのぼのと あかしのうらの あさぎりに しまかくれゆく ふねをしぞおもふ |
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詩歌: | ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島かくれ行く ふねをしぞおもふ |
出典: | 校註國歌大系3 |
作者: | 読人しらず |
歌集: | 古今和歌集 |
制作: | 10世紀以前 |
ほのかに夜が明け始めた明石の浦の朝霧の中に、島陰に隠れながら遠ざかる舟をしみじみと眺めている、といったかんじでしょうか。
この歌の詞書には意味深なことが書かれています。
「題しらず/讀人しらず
此の歌はある人のいはく柿本人麿がなり」
柿本人麿(人麻呂)は生没年不詳でその生涯はほとんどわかっていません。ただ、古今和歌集の序には
「おほきみつのくらゐ柿本の人麿なむ歌のひじりなりける。」
と記されているので、古今和歌集の編者である紀貫之には如何なる人物であったのかわかっていたのでしょう。「おほきみつのくらゐ」とは正三位のこと、これほど高い位の人物が、続日本紀などの正史に書かれていないのは不自然です。人麿の時代から約200年くだった平安の世の識者には事の真相がわかっていた可能性があります。「読み人しらず」とした背景にはいったい何があったのでしょう。
梅原猛氏の「水底の歌」や井沢元彦氏の「猿丸幻視行」、藤村由加氏の「人麻呂の暗号」などの異説を読むと、古代史の闇が垣間見えてわくわくします。