#049 古に恋ふる鳥かもゆづるはの 御井の上より鳴き渡り行く
作品サイズ: | 約25×37 cm |
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仕立て: | 額装 |
どんなうた?
しいか: | いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みゐのうへより なきわたりゆく | ||||
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詩歌: | 古に恋ふる鳥かもゆづるはの 御井の上より鳴き渡り行く | ||||
出典: | 新編 日本古典文学全集6 小学館 | ||||
作者: | 弓削皇子 (ゆげのみこ) | 歌集: | 万葉集 | 制作: | 690年あるいは691年 |
出典 p91によると “亡き父帝を慕う鳥でしょうか ゆずりはの御井の上から 鳴いて飛んで行くのは” とのこと。
前書きに
“吉野宮(よしののみや)に幸(いでま)せる時に、弓削皇子、額田王(ぬかたのおほきみ)に贈り与ふる歌一首”
とあるように、この歌は持統天皇の御代に、吉野にいる弓削皇子から大和にいる額田王に贈られた相聞歌です。
弓削皇子は天武天皇の皇子、額田王は天武天皇の元恋人、このふたりが亡き天武天皇の御代を恋しく思っているのです。弓絃葉(ゆづるは)は新葉が出ると古葉が落ちることから世代交代を示唆し、鳴くは泣くに通じるとも。天武天皇がおられた吉野離宮(御井は離宮の泉)から大和の方へ飛ぶ鳥は天武天皇の魂なのかもしれません。
最近2冊の高松塚の考察を読みました。
ひとつ目は梅原猛氏の「黄泉の王 -私見・高松塚―」(新潮文庫)、もうひとつは小林泰三氏の「デジタル復元でここまで見えた! 国宝よみがえる色彩」(双葉社)です。
高松塚の壁画について梅原氏は “怨念にみちた霊を鎮める” とし、一方小林氏は “明るいピクニック気分で(魂を)天国へいざなってくれる” としています。梅原氏と小林氏の高松塚への印象が真逆なのが面白いです。
梅原氏の本の中に出てきた弓削皇子の歌が気になったので書いてみました。