#128 散らぬ間に立ち帰るべき道ならば都のつとに花も折らまし
作品サイズ: | 半紙 約33×24 cm |
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仕立て: | 額装 |
どんなうた?
しいか: | ちらぬまに たちかへるへき みちならは みやこのつとに はなもをらまし |
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詩歌: | 散らぬ間に立ち帰るべき道ならば都のつとに花も折らまし |
詠者: | 宗良親王(むねよししんのう) |
歌集: | 李花集 |
制作: | 1385年以前 (没年以前) |
出典: | 李花集:宗良親王御集 紅玉堂書店 |
“信濃国伊那郡と申すところにて花見侍りしに思ひ出で侍りける” の詞書に続く歌です。
この花が散らないうちに立ち帰らなければならない道のりならば、せめて都へのみやげに手折ろうかしら、といったかんじでしょうか。
よしなしごと
宗良親王は後醍醐天皇の皇子であり、南北朝の動乱期に南朝方の大将として戦いました。
形勢不利となり東海から北陸地方を流転したのち、下伊那郡大鹿村大河原の豪族香坂氏に招かれ、この地「信濃宮」を30年余拠点として各地に出陣しました。
宗良親王は和歌にも精通しており、准勅撰和歌集「新葉和歌集」の撰者となったほか、私家集「李花集」を編纂しました。
たまたま伊那市を通りかかったときに、東久世通禧氏揮毫の歌碑があるとの看板を目にしたのですが時間の都合で拝見できませんでした。でも、目にしなくて良かったかもしれません。孝明天皇の側近であり幕末の動乱期を生きた東久世氏は宗良親王に重なる境遇です。そのような方の迫力ある書を見てしまったら私など書けなくなりそうだからです。
とはいえ、次回はその歌碑を見に行きたいと思っています。