#130 わがやどの花見がてらに来る人はちりなむのちぞ恋しかるべき
作品サイズ: | 半懐紙 約24×36 cm |
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仕立て: | 額装 |
どんなうた?
しいか: | わがやどの はなみがてらに くるひとは ちりなむのちぞ こひしかるべき |
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詩歌: | わがやどの花見がてらに来る人はちりなむのちぞ恋しかるべき |
詠者: | 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね) |
歌集: | 古今和歌集 |
制作: | 913年以前 (同集成立以前) |
出典: | 新 日本古典文学大系5 岩波書店 |
“桜の花の咲けりけるを見にまうで来たりける人に、よみて、贈りける” の詞書に続く歌です。
わが家の桜を花見がてらに訪ねて来る人は、散ってしまった後にはもう来ないのだろうから、私はその人のことをなつかしく思うだろうなあ、といったかんじでしょうか。
よしなしごと
桜の花を愛でるようになったのは古今和歌集からだそうです。
それまでは、花と言えば梅でした。梅は中国から伝来した珍しい花というだけでなく、春の訪れを告げる喜ぶべき花でもあったのでしょう。「令和」の由来になった万葉集の歌にも梅が詠みこまれていますね。
桜の花に気持ちがシフトしたきっかけは894年に遣唐使船が廃止されたことによるともいわれています。だとすると、古今和歌集成立までのたった20年間で人々の心をわしづかみにした桜の花は、よほど日本人の感性にぴったりだったのでしょう。
ちなみに、遣唐使船廃止を提案した菅原道真公は梅の花をこよなく愛していました。彼は903年に亡くなっていますが、まだ桜の花のムーブメントには乗れなかったみたいです。