#149 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関
作品サイズ: | 半紙 約33×24 cm |
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仕立て: | 額装 |
どんなうた?
しいか: | これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき |
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詩歌: | これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 |
詠者: | 蝉丸(せみまる) |
歌集: | 小倉百人一首(後撰和歌集) |
制作: | 950?年以前 (後撰和歌集成立年が950年頃) |
出典: | 新潮古典文学アルバム 11 新潮社 |
“相坂の関に庵室をつくりてすみ侍りけるに、ゆきかふ人を見て” の詞書に続く歌です。
これがあの噂に聞く逢坂の関か、京から出ていく人も帰る人も、知り合いもあかの他人もここで出会い別れるという、といったかんじでしょうか。
よしなしごと
蝉丸さんは、光孝天皇もしくは宇多天皇の皇子かもしれないとされる謎の多い人物ですが、私たちには百人一首の坊主めくりでよく知られています。
盲目の琵琶法師だったとされているのに、「ゆきかふ人を見て」というのはいったいどういうことなのでしょう。
さて、この歌は後撰和歌集・巻第十五・雑一・1089番に収録されています。が、少し違います。
これやこの行くも帰るも別れつゝ知るも知らぬもあふさかの関
新 日本古典文学大系 6 岩波書店 より
後撰集では「別れつゝ」です。少し混乱。というわけで、調べてみました。
後撰の諸本は多く、この歌の第三句を「別れつつ」とし、定家も諸歌学書で同じく「つつ」として採っているが、室町時代以降盛んになった百人一首註釈では、「別れては」といいならわされてわされてきている。「つつ」よりも「ては」の方が目で読む歌としては姿もしまり、また抑揚も利くが、・・・
百人一首 安藤次男 新潮社 より
百人一首の編者である藤原定家は原文のままを採用していたが、どうやら室町以降に改ざん?されたらしいです。変更したところでたいして意味は変わらないため、見た目や響きが好まれる方に行き着いたのでしょう。