龍馬の歌 – 心から

作品

#151 心からのどけくもあるか野辺はなほ雪解ながらに春風ぞ吹く

作品:心から

作品サイズ: 約31×20 cm
仕立て 軸装

どんなうた?

しいか: こころから のどけくもあるか のべはなほ ゆきげながらに はるかぜぞふく
詩歌: 心からのどけくもあるか野辺はなほ雪解けながらに春風ぞ吹く
詠者: 坂本龍馬
制作: 慶応3年(1867年)
出典: 菊池寛全集第19巻 東京文芸春秋

心の底から穏やかではないか、野原は依然として雪解けしながらも春風が吹いている、といったかんじでしょうか。

よしなしごと

慶応3年10月14日(1867年11月9日)は大政奉還がなされた日です。

大政奉還とは江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権を明治天皇へ返上したことです。薩摩・長州両藩を中心とした反幕府派の動きをけん制し、日本国内での全面内戦を回避すべく考え出された苦肉の策です。

この大政奉還に一役買ったのが坂本龍馬です。

彼は同年6月15日に記した船中八策の中で、土佐藩家老の後藤象二郎に次のように大政奉還を提案しています。

一、 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事
龍馬の手紙 宮地佐一郎 PHP研究所 より

後藤はこれを隠居していた前土佐藩主 山内容堂に進言、容堂公が慶喜公に建白するという伝言ゲームが行われました。慶喜公がこれをのんだというわけです。

慶喜公が二条城で大政奉還を発表する日、龍馬は下宿先で後藤からの連絡を首を長くして待っていました。夜になり吉報が届くと、龍馬は大喜びでこの歌を詠んだ、と出典に。

幕末の風雲児と平安朝の和歌、一見ミスマッチとも思えますが、実は龍馬には素養があったのです。

龍馬は幼少期から姉乙女の教育を受けて育ったが、特に「古今和歌集」の系統「新古今集」や「新葉和歌集」を学んでいて、・・・
龍馬の手紙 宮地佐一郎 PHP研究所 より

ですので、龍馬さんの歌を、おめでたい印象になるように扇面に平安朝で書いてみました。

後日譚

この歌は「菊池寛全集」では大政奉還の折に詠まれたと書かれていたのですが、「龍馬の手紙」によると慶応3年3月6日 印藤肇宛の手紙に記された歌だとされています。なんと大政奉還の半年も前にです。

さらに歌の細部が違っていました。
手紙の写真を読むと、「心からのとけくもあるか野へはなを雪けなからの春風そふく」となっていました。手紙は1次資料、菊池寛氏の本は2次資料ということですね。

タイトルとURLをコピーしました