#145 わが心いかにせよとて郭公雲間の月の影に鳴くらん
作品サイズ: | 半紙 約33×24 cm |
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仕立て: | 額装 |
どんなうた?
しいか: | わがこころ いかにせよとて ほととぎす くもまのつきの かげになくらん |
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詩歌: | わが心いかにせよとて郭公雲間の月の影に鳴くらん |
詠者: | 藤原俊成(としなり/しゅんぜい) |
歌集: | 新古今和歌集 |
制作: | 1200年頃 (同集成立頃) |
出典: | 新編 日本古典文学全集43 小学館 |
“後徳大寺左大臣家に十首哥よみ侍けるに、よみて遣はしける” の詞書に続く歌です。
私の心をどうしようというのか、ほととぎすよ、儚げな雲の切れ間から洩れる月明かりのもとでお前は哀しく鳴いているのだろうか、といったかんじでしょうか。
よしなしごと
この歌の詠者名、私は「としなり」ではなく「しゅんぜい」と読んでいました。藤原定家も「さだいえ」ではなく「ていか」、小野道風も「みちかぜ」ではなく「とうふう」と。。
いつごろからか、テレビや教科書などが昔の人の名前を訓読みで呼ぶようになっていました。本サイトの記事を書いていても、詠者の呼び方が自分の知っている呼び方と違うので、違和感を覚えてました。そこで、これを機に少し調べてみました。
私が慣れ親しんできた呼び方は、「有職読み(ゆうそくよみ)」というのだそうです。
思うに、本来の訓読みではなく音読みで呼ぶのは、「忌み名」の慣習からではないでしょうか。
諱(いみな)…
忌み名の意であり、人の死後その実名をいうことを忌むのでそれを諱といった。死後につける諡(おくりな)のこともいった。貴人の諱はやたらに口にすべきものではないとされている。・・・
引用: コトバンク
つまり敬うべき古人の名前を、本来の呼び方を避けて音読みで呼ぶようになったのではないかと。なるほど、自分の祖父母世代の方がより音読みで古人を呼ぶのが一般的なようでした。古来からの慣習を色濃く身に着けていた世代だったからでしょう。